心の断捨離を終えるまでの記録

5年くらい人生の迷路から抜け出せず厄年のような日々を過ごすオタクの記録

人生を変えるほどの出会いは、思った以上にたくさん落ちている?①

そう思いませんか?これまでの短くも長くもない人生の中で、私は何度か「人生を変えるほどの出会い」を経験してきました。それは人であったり、ものであったり、様々です。そして変化の度合いもそれぞれです。劇的に変えられることもあれば、ほんの少し曲がる道が一本変わるくらいの変化のときもあります。でもどっちも「人生を変えるほどの出会い」だと思いませんか?だって、大なり小なり道は変わってるわけですから。

 

なんでこんな文章をかいているのかというと、先日、ふと「死神の精度」という作品のことを思い出したからです。2005年に発売された伊坂幸太郎先生の作品。この作品との出会いは私がいろんな小説を読むようになったきっかけだったように思います。

 

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私がこの作品に出会ったのは映画化される前。文庫版を新刊で読んだのだと思います。それまで私は小説と言えば、シャーロック・ホームズハリー・ポッター江戸川乱歩作品、アガサ・クリスティ作品、他新選組関連の作品(と少しのダレン・シャン)ばかりを読んできました。小中学生の頃は本格的に図書室の住人だったので、もっとたくさんの作品を読んでいたかもしれませんが、今となっては覚えていません。

 

そんな私がなぜ「死神の精度」に出会ったのか。きっかけは覚えていません。一時期狂ったように活字を渇望していたので、書店で新刊を眺めていたときにタイトルに惹かれて買ったんだと思います。

 

この作品は私にとって衝撃的な作品でした。明確にこのシーンが、この台詞が衝撃的だった!というわけではないのですが、読み終えたあとに感じた「悔しさ」と「幸せ」が衝撃的でした。読みながら見送りを願った命は「可」と判断されたし、最後の「あともう少し」が描かれることはなく、読者の想像に任せられる。悔しかった。最後まで言葉がほしかった。その先を自分で想像しなくてはいけない、読者の分だけストーリーがある。それが悔しかった。私は作者が選んだ「正解」を最後まで知りたかった。だから読み終わったあと「悔しい」と思いました。だって、その人がどうやって最期を迎えるのかも分からぬままなんですよ?ほんと悔しい。

それと同時に、「死神の精度」から始まったストーリーが「死神対老女」で終わったとき幸せを感じました。ミュージックを愛した死神・千葉が「死神の精度」くだした「見送り」が、正解だったのか不正解だったのかはわかりません。それは物語の中で生きた一恵だけが知ることです。見送られて幸せだったかもしれないし、可と判断されたほうが幸せだったかもしれない。そんな一恵の人生の一部を、長い月日が経った後に千葉が見つけるんです。一度見送った命が生み出した作品に出会った千葉がどう思ったのかわかりませんが、そもそもこうして見送った命のその後に千葉が出会ったこと、その仕事を千葉が思い出したことに幸せを感じました。なかなか悔しかったけど、最後の最後でこれもよかったなって。

 

活字を読むって楽しいな、と改めて感じた作品だったなあ。っていうのを思い出して10数年ぶりに読み返したわけですが、時間を重ねてもなお、同じことを思いました。活字ってほんと楽しい。漫画とは違うワクワクをくれる。最近ずっと漫画ばっかりだったから小説ももっと読まなきゃな。ってことで次は買ったまま読み終えてない日暮旅人シリーズを読み返します。